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2004年07月26日

入院までのこと 2

入院した時点では、既に土曜日の午後だし、日曜日を挟むのでMRIは月曜日に撮る予定だった。それが今すぐに撮るということなんで、ことの重大さは十分分かった。赤ちゃんのMRIは深く眠らさないと撮れないので座薬を使い眠らせた。もう2度と会えなくなるのでは…?という錯覚に陥り、パニックになりそうで、涙が止まらなかった。旦那には、両実家にはなんと言ったらいいんだろう?あーちゃんがMRIを撮りに行った間、電話をかけた。誰もが声を失い、電話越しに血の気が引く音が聞こえた。荷物をまとめ、病棟を移動する。あーちゃんはMRIが終わるとそのままICUへ入ることになっていた。私は家族待合い室で一人座って待っていた。
夜、旦那が仕事を早退して駆けつけた。その後すぐに主治医の先生から説明があった。検査の結果、脳腫瘍は左右に2つあり、左はかなり大きいものであった。左の腫瘍が主に水頭症の原因になっており、嘔吐等の症状が出たと考えられる。また、小脳をかなり圧迫していたため、運動障害が出た。しかし、この状態で麻痺や意識混濁がなく、比較的機嫌もいいのは非常に運が良く、本来なら麻痺や痙攣が起こっていても全くおかしくない状態だったらしい。あと数日発見が遅れていたらかなり危険だった。正に不幸中の幸いだった。場所が場所だけに何があるか分からないので今晩はICUで様子を見て、明朝手術で左の腫瘍を摘出することになった。

脳腫瘍は、頭蓋骨の中にできるので触って分かる訳でもないし、心臓と違って音を聞いても分からない。そんなもの町医者が分かるはずもない。解れという方が酷だと思う。もし分かったとしても、検査や手術を行う場所や設備もないし、乳児の脳腫瘍という特殊な病気を扱える医師は脳外科医の中でも多くはない。病院をタライ回しにされるのは目に見えている。しかしこの病院は、四国で初めての小児総合病院で、脳外科はもちろん小児脳外科という、胎児から18歳までの脳を専門とするとても特殊な科だ。日本を探しても、こうも運良く発症から比較的発見が早く、すぐに最適な手術が受けられる乳児はそう多くないと思う。さらに隣の県とはいえ、家から高速を使って40分、私の実家からは車で20分、旦那実家から高速で1時間という立地の良さ。時期、場所、運、全てにおいてこれ以上ないくらい良いものだった。

最後に、医師に「子供の異変は一緒に住んでいる親が気づいてあげないと分からないものです。良く異変に気づきましたね。どんな小さなことでもおかしいと思ったら訴えて下さい。赤ちゃんは喋ることができないから、お父さんやお母さんの観察力と感が頼りなんです。」と言われた。旦那と私はあーちゃんのために最善を尽くせた、そう言ってもらえたようで、それだけがせめてもの慰めだった。胸のざわざわが思い過ごしならそれでいい…と思い、大きな病院に連れて来たけれど、それは思い過ごしではなかった。「赤ちゃんの主治医はお父さんとお母さん」母子手帳に書いてあった。本当にそうだった。そうであれてよかった。

何故なってしまったのだろう…食事などは気をつけていたのに…知りたいことはやまやまだけど、これらは考えても仕方がないこと。病気になってしまったことは変わらないから。それよりこれからは、どうすればあーちゃんが全力で腫瘍と戦えるか、かーるを含め、周りの環境をどうしていくかが重要。とにかく今は、あーちゃんがベストの状態でいられるよう心を配るつもりです。

投稿者 yuriko : 2004年07月26日 15:33

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